悟りという状態について2

悟りという状態についての続きです。

普段は
ちゃんと「自分」も存在していて
二重写しみたいに両方の世界を体験していて

それはパソコンの画面上に表示されているものと
その元になっている無数のゼロとイチの組み合わせを同時に見ているような感覚で

意識的に
どっちかにチャンネルを合わせることもできます。

と書きましたが

至福の状態でいられるのは
実在の一歩手前
かろうじて「自分」が残っている状態です。

このあたりのことは
エネルギーの観点から
わかりやすく説明できるんだけど
エネルギーのことを一から説明すると
話が逸れてしまうので
ちょっと今は置いておくとして

完全に実在の次元に行っちゃうと
そこはもう「無」の世界で
至福と感じる自分はいません。

自然界の美しさも
繋がりの愛おしさも
かくも自由を与えられている感謝も
一切認識できなくなってしまいます。

認識する「自分」がいないから。

わたしはかつて
ある瞑想に耽溺していた時期があって

それはあっという間に
今感じているような至福の感覚に入れたからで
その体験に痺れていました。

瞑想するたびに
なんて甘美なんだろう!
なんて完全に受け入れられているんだろう!
なんて愛されているんだろう!
と至福の世界に逃避行していました。

そこには
世間を騒がす事件も悪意も
一切存在していませんでした。

今思うと
アンデルセン童話のマッチ売りの少女が
マッチの火が灯っているわずかな時間だけ
至福を味わっていたのと似ています。

現実の世界と瞑想中に体験する世界を行ったり来たりして
混沌とした現実の世界を
あの素晴らしい愛と調和に溢れた世界に近づけようと
当時のわたしはせっせと
現実世界の不条理を訴えたりとか
デモに参加したりしておりました(笑)

けれども比較的それからすぐに
瞑想しても
その至福が感じられなくなってしまったのです。

あの美しい世界に行きたいと
目を閉じて瞑想に入るのですが
あっという間に「無」の世界に行ってしまうようになって

そこには
何かを認識する「自分」がいないので
「世界」も存在しないのです。

無・無・無・無・無・・・・

どこまで行っても無

目を閉じている間には
「無」と感じる自分さえおらず
「時間」もないので

どのくらい目を閉じて座っていても
目を開けて初めて

「無」だった・・・
「なにひとつ存在していなかった・・・」
「どこまでも無限の無だった・・・」

とわかるのです。

なんかむなしい。
あの甘美な世界をわたしはもう失ってしまったの?
わたしはどこで道を間違えてしまったの?

そんな気持ちになって
当然
わたしは瞑想するのをやめてしまいました。

その頃偶然
世界の悟った人50人にインタビューっていう記事を目にしましたが
そのほとんどの人が
「悟るちょっと前が一番幸せだった」と言っていて
妙に納得したのを覚えています。

ちなみにその人たちのほとんどが
教師とかグルなどではなく市井の人。
その状態に至ると
自己承認欲求などがなくなるので
彼らがあまり世に出てこないのは理解できます。

そうしてしばらく忘れて普通に生活していて・・・
ある時
はっ!と気がついたのです。

瞑想していない普段の状態が
あの瞑想中の甘美な至福の状態であるということに!

いつしか
わたしの意識がスライドして
瞑想中の意識状態で
普通の生活を送るようになっていたのです。

世の中の問題にも
まるでリアリティが感じられなくなってしまい
問題のようにはまるで見えなくなってしまいました。

この状態ってどういう状態かというのは
この記事を参照

この2日間のような状態が
基本デフォルトで
世界はあまねく美しく
でも徐々に移行したせいなのか
慣れたからなのかはわからないけれど
普通の日常的な行動もあたりまえにできます!

やりたいことだけしか
やっていませんけどね。

問題のない世界に生きる
完全に愛され受け入れられ
一切の不安や不満や不足のない
満たされた状態

これがわたしたちの
本来の姿であるということが
今ならはっきりとわかります。

この状態で生きることができるようになると

ない→から得よう

のように不足ベースで
行動するということがなくなります。

満たされているから
どんどん無欲になってしまうのですが
なぜか必要な豊かさや愛に溢れてゆきます。

不思議なことも日常茶飯事に起きるのですが
特に不思議とも感じなくなっています。

不本意なことに反応しないので
スコトーマでそういうことが認識できないだけなのか
HAPPYバイブレ―ションのせいで
ラッキーなことばかりが起きているのか
もはや自分ではよくわからないです。

ただ
この至福の状態に
みなさまをお連れしたいと思っても
すぐにそういう意欲が消えてしまって
なかなか行動できないので

この状態では肉体を持っている意味があるだろうか?

ある日ウッカリふと肉体を離れてしまいそう

人のエゴが重たく感じられて交流するのを避けたくなる傾向があるな
人といるより自然界の方に親和性を感じるな

と思ったりするので
このままいくと自分の大切な人たちともギャップが生まれてしまいそうなので
少しづつ意識の周波数を下げて
もう少し地に足をつけて生きようと思ったりする今日この頃です。

何年か前にスピリットガイドから

波動は高いのが良く、低いのが悪いわけではなく
単なる特性に過ぎない
波動が高いとは、単に高周波数で振動している状態のことで
抽象的・自由・柔軟・共感力が高い・周りの影響を受けやすい・不安定
などの特性があり
波動が低いとは、単に低周波数で振動している状態のことで
具体的・安定・変化に時間がかかる・周りの影響を受けにくい
などの特性がある

大切なことは波動を上げようとするのではなく
受容性を上げて自分の存在の波動のレンジを拡げること
そのどこにでも自由に存在できること

を学ぶように

と教わりました。

これに関してはまた書きます。

 

 

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