ずいぶんサボってしまいましたが、
久しぶりに書きたいモードになったので書いてみたいと思います。
わたしは何年か前に
意図していたわけではありませんが
偶然にいわゆる「悟り」の状態に至りました。
すると
人生がほぼほぼ完全に「ネタバレ」となったので
本当にやりたいと思ったこと以外は
全然できなくなってしまいました。
欲も不安も怒りも悲しみも
もっと言っちゃうと
歓喜や驚きなどの感情も
全部「自分」に紐付いているものだから
「自分」がいなくなってみたら
共に消え去ってしまいました。
そういうのがなくなってみると
未来に対する不安とか
長続きするネガティブな感情などが
一切なくなってしまうので
平和で穏やかな至福の世界の住人になれます。
この状態こそが
夢を実現するために
全力で努力している人たちが
最終的に求めている状態ではないだろうか?
と思ったりします。
ある意味
究極のゴールともいえると思うんですが
そこに到達するために
あれやこれや
努力を経る必要はなく
すべての人に
完璧な裏道が用意されていると今ならわかります。
なぜなら
その状態というのは
全ての人の元々の状態だから
この世に生きている全員がその感覚を知っているのです。
「悟り」に関して
語られている事柄には詳しくないし
「悟り」認定を誰かにもらったわけでもないから
これが本当に
「悟り」の状態なのかどうかはわからないのですが
もうこの先の世界がない
一切の不安なく完全に満たされている
という意味で
究極のゴールであると感じますし
行きつくところに到達したら
たとえば登山していて
頂上に到着したら
どうこうしようというより
しばらくはその景色をただただ味わいたい
と感じるのと似ている気がします。
苦しみの終焉が実現した
この素晴らしい世界に
みなさまをお連れしたいな
などと思ったりすることもあります。
普段は
ちゃんと「自分」も存在していて
二重写しみたいに両方の世界を体験していて
それはパソコンの画面上に表示されているものと
その元になっている無数のゼロとイチの組み合わせを
同時に見ているような感覚で
意識的に
どっちかにチャンネルを合わせることもできますが
いわゆる現実と呼ばれているものは
「自分」が作り出して体験している
幻想なんだとネタバレしてしまったので
実在は
単一のエネルギーがただ拡がっていて
その優しさは
無限の愛と呼ぶのにふさわしいと感じます。
エネルギーの観点から
この状態を説明することもできます。
こういう風に
わたしたちはみんな存在していて
この無限の愛こそが
自分自身でもあり
世界のすべてであることを
本当は誰もが知っているのです。
忘れているかもしれないけれど。
だから幸せになるために
何かを成し遂げる必要もなければ
何者かになる必要もなく
むしろ
そういうの全部手放しちゃってる状態
といえるかもしれません。
そんなことを
お伝えする講座を
春ごろから始めるかもしれません。
ずいぶんご無沙汰しちゃったけれど
久しぶりにそんなウエーブが
自分の中で小さく生まれているのを感じます。